「やり方というものは、何故こんなに硬直してしまうのか」と考えている。

誰もがスゴイと認識していることも、昼間の会社では誰も言わない。
夜の飲みでは不平不満として来るのに。

近年利用が底堅い課題で、現実は収益が安定しているやり方では、心配を放置しておいても直近で困ることはない。

波風を立てて単独やる心配をとってまで乗りかえる意味が見いだせない。

「キャリアをOKうえで、これまでの事情を尊重して変えろ」という、もうフリーズと同義の定型化した指南。それをかわすための方策・テンポを踏むエネルギーと、「自分が変えた」という責任を負う危険も含めると、あまりにも短所のほうが、差し換えるため頂ける特長より大きすぎるように見えてしまって、躊躇してしまう。

スゴイと思っているけど、貫く。臭い物に蓋を始める。

5クラス予行、10クラス前の資料を見ていると、近年ととてもおんなじことが「心配」として挙がって掛かる。

という学説は、意識では理解できるようになった。
これを何クラス繰り返してきたのだろう。行く先いつまで増やすのだろう。

というわけで、何でやり方は「大組織疾患(=硬化)」化してしまうのか、最近はとことん考える。シースリーの体験談と口コミについて